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のんびりの目的

ラメシュは伝道が大好きです。イエスの話を職場で堂々とし、月一回、週末に地元に戻って福音を伝えます。人々は彼の情熱に引き込まれます。彼がのんびりすることを学んでからは尚更そうです。

やみに輝く光

激しい雷雨の後、私は犬のカリーと夜の散歩に出かけました。遠く知らない町に家族で引っ越して来て直面した数々の問題が、私を悩ませていました。期待に胸を膨らませてきたのに迷路にはまり込んだようでした。乱れる心と重い足取りの私の横で、カリーは草の匂いを嗅いでいます。ふと気づくと、そばを流れる小川のせせらぎが聞こえます。小さな光が土手に咲く野花の上を、ついたり消えたりしながら、飛び交っていました。蛍です。やみの中で点滅する光を見ながら、私は主の平安に包まれていきました。

元気を回復する

精神科医のロバート・コールズは、人に仕える仕事で燃え尽きた人には、そこに至るまでに前兆があると言います。最初のサインは疲労感。次は改善しないことに対する辛辣な感情、恨みや敵意、絶望感、抑うつ症状と続き、最後に燃え尽き症候群と診断されます。

旅する力

ある夏、短い期間に大量の原稿を書くという困難な仕事を引き受けました。来る日も来る日も、ひとりで原稿用紙に向かっていると疲れ切ってしまい、やる気が失せて投げ出したくなりました。そんな時、賢い友人が「ひと息入れて、ごちそうでも食べましょう」と言いました。

雑音を避ける

何年か前、携帯の電源を切って夜の礼拝に集まるように大学の学長が学生たちに提案しました。学生たちは渋々同意してチャペルに入りましたが、約一時間の音楽と祈りの礼拝式に静かに座って参加しました。後日、ある参加者は、あの経験は「余分な雑音を締め出して心を静める素晴らしい機会」だったと語りました。

静かな畏敬の念

私の生活は慌ただしいと常々感じています。会議から会議に移り、折り返し電話を繰り返し、延々と続く「やる事メモ」をつぶしていきます。ある日曜日、疲労困憊で庭のハンモックに倒れ込みました。スマホは家の中、夫も子どもたちも家にいました。最初はほんの少しだけのつもりだったのに、その静けさの中には、留まりたいと思わせる数々のものがありました。きしむハンモックの穏やかな音、ラベンダーの周りを飛ぶ蜂の音、鳥の羽音も聞こえました。空は抜けるような青さで、白い雲が風に乗って流れています。

止まれ

私は友人と波の音がする砂浜に座りました。夕日が遠くに沈む中、伸ばした足の先に波が寄せては返していきます。彼女は微笑んで「海が好きよ。波が動いてくれるから。私は動かなくていいもの」と言いました。何という発想でしょう。多くの人たちは止まりたくても止まれないというのに…。

休息する日

ある日曜日、私はロンドン北部の住宅街を流れる川べりに立ち、水のせせらぎや鳥の鳴き声に耳を傾けていました。街中に住みながら、このような美しい光景を楽しみつつ、ゆっくりリラックスできるのは嬉しいことです。私は、たましいに休息とうるおいを与えてくださる主に、感謝の祈りをささげました。

恩寵のリズム

友人夫婦は90歳代で、結婚して66年になりますが、家族のために自分史を書きました。最終章「父と母からの手紙」には、彼らが学んだ大切な教訓が記されています。そのひとつはこうです。「キリスト教は忙しくて疲れると感じるなら、それは宗教活動でありイエスと親しく交わっていることではありません。キリストと歩むなら疲弊しません。生気を回復し、人生に活力が与えられます」(マタ11:28-29)。